4年ぶりに阪神タイガース復帰 藤川球児
いよいよ2016年プロ野球が開幕します!
中でも注目の選手のといえばこの人!
日本球界に、阪神タイガースに4年振りに復帰した
藤川球児 選手です。
「球児お帰りなさい!」
阪神ファンは首を長~くして待っていましたよ!
藤川選手はご存知のとおり阪神を代表、いや
日本を代表するストッパーとして大活躍していました。
全盛期は魔球と呼ばれた火の玉ストレート!
バッターも、まっすぐが来ると分かっていても
バットにかすりもしない剛速球は、
今まで見たことの無い異次元のものでした。
そんな藤川(球児と呼ばせてもらいます)は、
古巣に復帰後はなんと先発転向で調整を進めてきました。
肘にメスを入れているということや年齢も考えて、
また金本新監督の意向もあってのことです。
オープン戦3月13日の先発登板でも
5回をノーヒットに抑えるなど、
オープン戦でも先発として好成績を納めました。
首脳陣に「格が違う!」と言わしめた球児の存在感は抜群ですね。
公式戦13年ぶりの先発登板に向けて準備は万端。
いよいよ開幕3戦目に先発として登板予定です!
しかし、実際のところプロでは先発で結果を残しておらず、
ラストチャンスとして中継ぎに転向してからブレイクした経歴があります。。
プロ野球の歴史でも先発⇒抑えへの転向はよくありますが、
今回のように抑え⇒先発の転向となると少ないようです。
阪神ファンならずとも非常に気になる球児の先発転向は
シーズン通して成功となるのか?
プロ野球の過去の選手の実績を元に推測してみたいと思います。
1981年 小松辰雄 中日
1977年の入団後、抑えにて救援失敗が続き、
当時の近藤貞雄監督が1981年に先発に転向した。
以降は先発でメキメキと頭角を表し活躍した選手。
抑え⇒先発 判定〇
1982年 鈴木孝政 中日
1972年の入団以降9シーズンで96セーブを上げており、
抑え投手として実績抜群の選手でしたが、
成績の降下に伴い先発転向。2桁勝利を一度あげるものの、
長期で見ると抑えの時ほどの安定した成績は残せなかった。
抑え⇒先発 判定△
1995年 大野豊 広島
当初は先発でも2桁勝利を2度、最優秀防御率などを取り、
抑えに転向後も4年間で93セーブと素晴らしい成績を残して、
再度先発へ転向。42歳で最優秀防御率を獲得するなど活躍。
先発⇒抑え⇒先発 判定◎
1999年 赤堀元之 近鉄
1988年に入団後10年間で139セーブと球界を代表する抑え投手でした。
怪我等により先発に転向後は肘の靭帯断裂手術などあり、
復活とは行かず2004年に引退。
抑え⇒先発 判定X
1999年 佐々岡真司 広島
入団1年目より先発として活躍し、2年目の最多勝・最優秀防御率・MVP・沢村賞を獲得。
抑えに転向後も先発時と変わらず活躍、そして再度先発への転向もして、
通算成績は138勝106セーブ。先発抑えとオールマイティーで活躍した。
先発⇒抑え⇒先発 判定〇
2008年 上原浩治 巨人
1998年の入団以来エースとして数々の成績を残す。
沢村賞も2回、102勝54敗の活躍。
途中1年だけ抑えに回るもその年は32セーブをあげる。
その後先発へ再転向後も活躍。
ご存知のとおり現在もメジャーリーグにて
メジャー屈指のクローザー・セットアッパーとして活躍しています。
先発⇒抑え⇒先発⇒抑え 判定◎
2014年5月 山口俊 DeNA
」
入団4年目シーズンより抑えにまわり8年間で111セーブをあげる。
しかし先発転向後は2年間で11勝と伸びきれていない。
先発⇒抑え⇒先発 判定X
総括 藤川球児の先発は?
全体的に見てみると、
上原のように、
短期的に抑えに回ってすぐに先発復帰するような形だと
問題はなさそうです。
先発で実績があった選手ならなおさら。
しかし、例外もあるのは事実だが、
今回の藤川球児のように先発での実績がなく
抑えを長くやってきていたとなると、
前例だけを見るとあまり思わしくはない。
阪神の安藤が先発転向した時と違い、
球児は35歳と年齢的にも若くはない。。
ただ、
中継ぎ・抑えでの実績が抜群であり、
金本監督もずっと先発の球児を期待しているわけではないだろう!
先発マウントに立つ球児も良いが、
ファンが最も見たいのはやはり
「守護神・藤川球児」でしょう!
ということで、
2016年の阪神タイガースそして藤川球児の今後が楽しみですね♪